プライベートや業務であったわけでもなんでもないのだけど、
「人に物事を教える」ということについてぼんやりと思うことが何度か。
知識ゼロの状態からどうもって行くのか、それなりのバックグラウンドを持った状態だとどうか、とか。
あるいは、年上か年下かによる教える側/教えられる側の心情とか。
そもそも「教える」という行為自体がその人にとってどうなのか、
・めんどくさい(時間がとられてウザい、自分のことがしたい、しないといけない)
・教えられるほど知っていない
・話し、教えるのが嫌い、苦手
・(不完全だけど)ドキュメントあるから読め、まずはそれからだ
・聞かなくてもできるよね、わかんないところだけ聞いてね
・自身にとって既知のものでありつまらないからこんなつまらないことを教えるのもつまらない
や、
また、教えられる側にとっても
・みなまでいわなくてもわかってますぅ
・この人教えてる割にあんま知ってないじゃないの
・このドキュメントだめだわ。あてにならない
・なんだか放置プレイされてる
など、ちょっと考えてみてもあれこれでてくる
いわゆる「すごいひと」なんてのは教えを請わなくてもなんとかなるんだろうけど、教えることで「すごくないひと」を「すごいひと」へクラスチェンジするのを補助できるものなのだろうか?と思ったり。
そもそも「すごいひと」のうちの何割かはとっかかりの時点でよいメンターのようなのがいてくれたから、あたかも自力でなんでもやってるように見えるのかもしれない。
教えるのに長けたひとは凄いなーと再認識している。
と、書きながらさらに思い出した。
「適切なフィードバック」
があるのが双方にとって望ましい、ということ。
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